私の作曲史―ロマン派微分音主義から独自調律へ(2005–2026)

1.携帯電話の3音と初期の関心

私が最初に作曲のような行為を行ったのは、2005年頃、9歳のころである。母の妹はナードではないが、2005年頃にはガラケーを五台ほど持っていた。夏休みか何かでその家へ行った際、使われなくなったNTTドコモかauの端末が箪笥の肥やしになっているのを見つけ、「ちょうだい」と言って一台を譲り受けた。通信契約はなく、インターネットにも接続できなかった。何に使えるのかと思って端末を調べると、「作曲」というアプリが入っていた。

そのアプリで扱える音は三つだけだった。音楽理論の知識はなく、ボタンをでたらめに押して、どのような音が鳴るかを確かめた。この時点で曲と呼べるものを作れたわけではないが、私は、自分は将来作曲家になるに違いないと思った。

後から振り返ると、母の妹が放置していた一台の携帯電話が、私の作曲活動の技術的な起点になったことになる。作曲との最初の接触が、五線譜や楽器演奏ではなく、機械へ音を入力し、再生結果を聞くことだった点は、現在の制作方法にもつながっている。私は現在も、DAWとソフトウェア音源を使い、マウスで一音ずつ入力している。

一方、小学校六年生の卒業文集には、将来の夢として「ビッグバン以前の初期宇宙の解明」を掲げていた。作曲家になるという予感と宇宙論への関心は、どちらか一方に決まっていたのではなく、当時から同時に存在していた。

2.ポピュラー音楽への関心

同じく小学校四年生頃、自宅で親が偶然かけていたABBAの《Gimme! Gimme! Gimme!》を聴き、音楽そのものに強く惹かれた。ただし、ABBAを長く聴き続けたわけではなく、関心はすぐにビートルズへ移った。特に《Rubber Soul》《Revolver》と《Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band》を聴き込んだ。

そこからPink Floyd、Jimi Hendrix、Led Zeppelinといったロック音楽大手を全て聞くと、そこからProcol Harum、The Beach Boysの《Pet Sounds》と《SMiLE》、Jefferson Airplane、The Doors、The Velvet Undergroundなどを聴いた。その後は13th Floor Elevators、The Zombies、Shocking Blue、Syd Barrettのソロ作品などへ範囲を広げた。私の感覚では、前者がサイケデリック・ロックの概論必修科目、後者が特論にあたり、それを中学生までに集中的に聴いていた。

ここで身についたのは、特定のコード進行や録音技法の模倣ではなかった。音楽は、旋律と和音を並べるだけでなく、独自の空気、重力、色彩、時間感覚をもつ世界を作ることができる、という認識だった。この世界構築の感覚は、後に交響曲、宇宙論、微分音調性を結びつける基礎になった。

3.「A」から「BF」までの捨て曲制作

13歳、中学校一年生の終わり頃、私は「あっ、作曲家になるんだった」と思い出した。2009年頃には自宅のパソコンをかなり自由に使うことができたため、「作曲ソフト 無料」と検索し、「ミノ式MIDIシーケンサ」を見つけてダウンロードした。

ただし、ソフトを入れればすぐに作曲できるとは考えていなかった。自分にはまだ作曲家になるだけの力がないと判断していたため、作品に固有の題名をつけなかった。最初の曲をA、次をB、C、Dとし、Zの次はAAとした。題名を考えて作品らしく見せるより、作曲の試行回数を増やすことを優先した。

13歳から15歳頃まで毎日作曲に取り組み、AからBF前後まで八十曲以上を書いた。これらは、どのみちすべて捨てるものだと考えていた。捨てる作品を何度もチェックして訂正するより、数日で完成させ、次の曲へ進み、曲を始め、展開し、終わらせる作業を繰り返した方が地力は上がると判断した。そのため、推敲も訂正もほとんど行わなかった。

私は、明らかにメンデルスゾーン型の作曲の神童ではなかった。自分の能力不足を自覚し、受験勉強のように作曲を反復して能力を獲得したという意味では、ロッシーニ型に近い。早い段階で現れていたのは、作曲上の完成度よりも、最適な訓練方法を自分で設計する知能だった。

4.クラシック音楽の網羅的聴取

高校では吹奏楽部に入り、初めて本格的に楽譜を読み、楽器を演奏した。この時期から作品に題名をつけ、アルバム単位でまとめるようになった。第1アルバムから第10アルバムまであり、内容はプログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック、吹奏楽、クラシック、現代音楽にまたがっていた。ただし、当時クラシックや現代音楽として作った曲は、実際にコンサートで価値をもつような内容を備えたものではなく、構成はまだポピュラー音楽のスタイルに近かった。17歳頃になって、ようやく客観的にも作曲作品と呼べる水準へ達したと感じた。

私は、サイケデリック・ロックとプログレッシブ・ロックは商業音楽の頂点であり、その上にある音楽はクラシック音楽の世界にしかない、とかなり自覚的に考えるようになった。そして、クラシック音楽こそが人生を通じ取り組むべき最も重要なフィールドだと直観した。

まずベートーヴェンの交響曲、シューベルトの《グレート》、シューマンやブラームスの交響曲などを聴き込み、交響曲オタクになった。その後、ドビュッシーの《海》を聴いた。冒頭のハープと低弦だけで全身が震え、じわじわと痺れ、「これだ」と感じた。私にとっては、好きな作曲家を一人見つけたというより、音色と和声だけで没入感のある宇宙が誕生する瞬間を初めて明確に経験した出来事だった。

そこからバッハから武満徹までを毎日朝から晩までキチガイのように聴き、その後はモンテヴェルディやパレストリーナからラッヘンマンまで射程が伸びた。高校から大学にかけて、作曲家ごとに全作品のリストをメモ帳へ書き出し、各作品が作曲家の何歳の時に書かれたものかを記録し、すべて自分で採点した。大学ではデュファイから、武満徹作曲賞のファイナリストとなったシキゲン(Shiqi Geng)のような20代のコンクール作曲家まで、同じように網羅的に聴いた。単に名曲を集めるのではなく、無名のスケッチまで全てタスク化して聞き、各作曲家が何歳で何を獲得し、どこで作風を変えたか、何歳で傑作を書き、何歳で死んだかについてキチガイのように分析し続けた(付録参照)。

5.大学時代の交響曲と「非公開」の理由

大学時代には作曲が完全にクラシック音楽へ向かい、ロマン派交響曲を書くことが中心になった。交響曲を書き、完成するとまた交響曲を書いた。未発表の練習交響曲には第0番、第00番、第1番から第20番、習作交響曲には第1番から第5番、「楽譜付き交響曲」には第1番から第6番、さらに未発表の交響曲第1番から第5番があり、合計は三十曲を超える。

「楽譜付き交響曲」は、楽譜を作るシリーズとして始めたが、途中から記譜が面倒になり、名称に反して楽譜は付いていない。未発表の交響曲第1番から第5番は全面的に微分音を使用している。特に第2番と第3番は演奏時間が二時間を超え、17EDOの児童合唱と24EDOの混声合唱を含む。

これらの作品は、幼少期からの宇宙論、サイケデリック・ロックに由来する世界構築、交響曲の長時間形式、現代音楽と微分音をまとめたものだった。私にとっては、単に大きな作品ではなく、幼少期から続いてきた自分の人生の延長にあった。

そのため、公開して無反応または否定的な反応を受けた場合、作品が一つ失敗したというだけでは済まず、自分が作曲してきたことそのものの意義が問われると考えた。私は自分の音楽を作り、聴くことを楽しんでいたが、それは自分が好きな音を自分で鳴らしているために満足しているだけではないか、という疑念も持っていた。二時間の交響曲を直接公開することは、その疑念に対して人生全体を賭けることに近かったため、避けたのである。

6.《Adagio for Strings》から2021年まで

私は《Adagio for Strings》を、2017年6月22日にYouTubeへ投稿した。これは2016年に一日で適当に書いた24EDOの曲であり、どれほど否定されても、「これは一日で作っただけで、こちらの二時間交響曲が自分の人生である」と反論できると考えた。ところが、待っても待ってもアンチは現れず、登録者は増えていった。自分が作って聴いて満足しているだけではなく、自分の音楽的感覚が他者にも伝わるらしいという感触を、ここで初めて得た。

その後、二時間交響曲以後に「これがメインだ」と考えて作っていた現代音楽的な微分音作品を投稿したが、こちらは大不発だった。当初は、YouTubeの聴衆のレベルが低いのだと考えた。しかし、YouTubeに限らず、ラッヘンマンやゲオルグ・フリードリヒ・ハースといった明らかに歴史に残るべき作曲家ですら一般人にはほとんど知られていない。聴衆に文句を言っても状況は変わらないため、YouTubeではYouTubeに適した作品を作ればよいと判断し、作風を少し分かりやすい方向へ動かすことに決めた。

現代音楽の作曲家が、若い時期の難解で攻撃的な作風から、調性的で聴きやすい作品へ移行することは珍しくない。その際、作曲家本人は、「若い頃は尖っていたが、音楽とは結局、人と人とのつながりであることに気づいた」「音楽は社会の中に存在する」「年齢を重ね、社会的貢献や教育的貢献を考えるようになった」「震災を経験して音楽の役割について考え直した」「演奏家が喜んで演奏できる作品を書くことは商業主義に屈したのではない」といった説明を行うことが多い。これらの言葉は、若い頃に独りよがりな作品を書き、それが聴衆や演奏家にてんで受け入れられず、その原因を長く周囲の無理解に求めていたという経緯を、成熟、社会性、公共性、教育、他者との関係という言葉で事後的に粉飾するものだ。難解な作品が聴かれなかったため作風を変更した、と率直に述べる代わりに、「音楽とは結局、人と人とのつながりなのだ」とテレビやインタビューで語ることで、聴衆への適応は芸術的後退ではなく、人間的成熟としてプロモートされる。私の作風の変化は、この種の説明とは異なる。私は、人間関係や社会貢献の重要性に新たに目覚めたのではなく、公開した作品への反応を観察し、YouTubeではどのような音楽が聴かれ、どのような音楽が聴かれないかを確認したうえで、公開媒体に適した作品を投稿しただけのことである。

私はYouTubeにはYouTubeにふさわしい曲だけを投稿する運用を続けていた。一方、非公開を前提とするガチの音楽もすぐに打ち切ったわけではなかったが、誰にも理解されない作品へ長い時間を費やすことはコストパフォーマンスが悪いと感じるようになり、2020年の後半にはだんだんとペースが落ちてきた。その結果、2021年には「非公開前提のガチの音楽」と「YouTube向けの分かりやすい作品」という区分けは、明確な方針転換によってではなく、前者のフェードアウトによって完全に解消された。

7.ロマン派微分音主義と17平均律の検証

2021年の《Serenade for Harp and Strings》は、その自然消滅による一本化の成功例だった。24平均律を使用しながら、微分音をクラスターや特殊効果に逃がさず、ロマンティックな旋律、和声、弦楽とハープの響きで扱った。2021年4月22日の公開後、再生回数は一万回を超え、五百件を超える高評価を得て、低評価は一件もなかった。

この方向を私はロマン派微分音主義と考えている。微分音を音響実験として提示するのではなく、旋律、和声的緊張、長い呼吸、動機の展開、巨大なクライマックス、憧憬、悲劇といったロマン派の語法の中で使用する。後年の《Symphony for String Orchestra》は、微分音後期ロマン派音楽語法を最も明瞭に示す作品になった。

同時期、17平均律による作品を大量に書いた。私にとって17平均律は、陽気で、サイケデリックで、イカれているが親しみやすい音律である。三和音を鳴らすだけでもチープな調性音楽にならず、量産的なBGMや、量産された近代フランス風の音楽にもなりにくい。微分音の汎用性では19平均律などに劣り、私の使い方では、強化された三和音から四和音が中心になる。

19平均律は三和音がきれいに整いすぎているため、そのまま使うと普通の調性音楽に近づく。そこで半々音を大量に使って未知性を出そうとすると、小難しく、気難しい音楽になりやすい。24平均律も、使いすぎると幽霊、特殊音、効果音、クラスターへ収斂する。17平均律は、既存の調性感を残しながら、単純な和音そのものが既存音楽とは違う人格をもつ点で、最もよい塩梅だった。

17平均律に対する私の感覚には、先行する作曲家との共通点もある。Easley Blackwoodは、17音平均律の三和音が大きな長三度によって強く濁る一方、比較的小さな短二度を持つ音階自体は優れているとし、短三和音に短七度を加えた四音和音を基本的な協和和音として用いた。Sevishは17EDOを“angular, intuitive, colourful”と評している。ただし、Blackwoodにとって17音平均律は13音から24音までを比較する連作中の一音律であり、Sevishも多数の音律を横断していた。私の場合、17平均律は多数のピアノ曲、ソナタ、前奏曲、組曲を継続的に書くための中心的な作曲言語となった。私が17平均律で基本和音として用いたのは、17音中の0、3、6、10番目の音からなる四音和音である。DAWの12平均律用のピアノロール上ではC♯–E–G–Bと表示されるが、実際の音程は約0、212、424、706セントであり、隣接間隔は3–3–4ステップとなる。約706セントの五度を外枠とし、その内部で大きな長三度を二つの全音へ分割するものである。Easley Blackwoodも17平均律では通常の三和音ではなく、短三和音に短七度を加えた四音和音を基本的な協和和音としたが、私の基本和音は七度を加えるのではなく、五度の内部を四音で満たす。

私は17平均律で、ピアノ曲、ソナタ、前奏曲、間奏曲、バラード、組曲、ハープ作品などを大量に書き、どの音程が親しみやすさを保ち、どの密度まで高めると方向性や感情の論理が失われるかを繰り返し確かめた。少し時期が遡るが、2018年にはUnTwelveのコンクールに出して入賞し、なぜかメーリングリストに加えられた。同じリストにいた存命中のEasley Blackwoodのメールを読んだこともある。Sevishは2020年から2022年頃に私の作品へコメントし、特に19平均律の作品を気に入っていたようだった。特定の音律にこだわりをみせない作曲家もいるが、私は17平均律を重点的に採掘しつづけた。

8.《Prelude X》における独自調律の発見

2023年6月22日、最初のYouTube投稿からちょうど六年後に、独自の17音調律による《Prelude X》を公開した。題名は、ピエール・ブーレーズの《Polyphonie X》をもじったものである。17平均律を大量に書いた後、その延長上で独自調律へ進んだ。最初から新しい音楽史を作ろうとして設計した調律ではなく、17平均律を使い切った先で自然に出てきたものだった。

0分00秒からの《Misterioso》は、遅いテンポとmpからppを中心に進み、ベルクの《ピアノ・ソナタ》をさらに閉塞的にしたような、狭い空間へ閉じ込められた音楽になっている。3分56秒、《Arditamente, Tempestoso》へ入ると、高速トリルがフォルテになり突然現れる。この音はトリルのみだと普通に聞こえるが、バスと一緒になると、ピアノに聞こえず、ガムランのような金属的な響きをもつ。

しかも、それはドビュッシーが西洋音楽の中で描いたガムラン的な響きより、本物のガムランに近い音響だった。それが打楽器音楽の反復としてではなく、明確な西洋音楽の音高、和声、動機、進行方向をもったまま襲ってきた。ガムランの音響と、西洋音楽の構築性が同時に鳴っていた。最後はスクリャービンの《ピアノ・ソナタ第5番》を思わせる高速上昇音型によって終わる。このガムラン・トリルの手法は《Ballade No.4》の後半でも再利用されている。

この曲を聴いたとき、私は自分の作品であるにもかかわらず強く震えた。サイケデリック・ロック、ドビュッシー、宇宙論、微分音、調性、世界が、初めて同じ場所で鳴った。公開後には、「なぜ他の微分音音楽のように音程が外れて聞こえないのか」という反応や、“Outer Space Debussy”というコメントもあった。その後も同じ調律で多数の作品を書いたため、この響きは一曲だけの偶然ではなかった。

現在の私はこの調律に慣れてしまったため、最初に聴いたときのように震えることはない。しかし、未聴感はクラシック音楽と現代音楽で最も早く枯渇する最重要資源である。シェルシ、ヴァレーズの《電離》、シェーンベルクの十二音音楽、ペンデレツキの《広島の犠牲者に捧げる哀歌》、リゲティの《アトモスフェール》、武満徹の音響を初めて聴く経験は、単に旋律が良い作品を聴くこととは別の価値をもつ。

《Prelude X》では、映像、空間配置、身体パフォーマンス、派手な電子音響、新しい演奏装置、インタラクティブ技術、AI、マルチメディアなどを一切使っていない。調性的な旋律と和声をもち、ピアノの音高関係が特殊なだけだが、それまで聴いたことのない音楽が成立した。私は《Prelude X》を最も好きな自作とは考えていないが、音楽史的な観点で一作を挙げるなら、この作品になるだろう。

9.主要作品と近年の展開

《eternal Idée Fixe》は、人生で合計1000作以上を書いた段階で、17平均律史上最高の作品をいったん自分が書くしかないと考えて作曲した、約30分のピアノ作品である。夢の中を漂うような浮遊感をもち、フィナーレの最後では、反復音型と打鍵音を強調しながら、音楽が死に絶えるように(morendo)消えていく。17EDOピアノが実現し、演奏上の困難が解決されれば、将来、私の作品の中で最も演奏される可能性が高いのはこの作品だと考えている。

私が最も好きな自作は《Symphony for String Orchestra》である。休日には時間をかけて聴き、現在も毎回感動する。アダージョの最初の大きなクライマックスでは、オーボエと複数のホルンが中心になりテーマに向かう。ホルン群は0セント系と33セント系に分かれ、微分音による厚い協和和音を形成する。私はこれを「憧れ和音」と呼んでいる。通常の協和音に濁りを加えた響きではなく、じわじわと広がりながら、直接脳へ届くような協和感をもつ。この曲は、ブルックナーやフランクを中心に、マーラーや近代フランス音楽の影響も受けているロマン派微分音主義音楽であり、アダージョにはブルックナーのように非常に大きなクライマックスがある。フィナーレのコーダでは、フランクの弦楽四重奏曲のように渋い旋律が現れ、バスクラリネットのソロもある。スケルツォの半々音階は、ヒンデミットの弦楽四重奏の微分音化を彷彿させるかもしれない。やたらと低音のヴァイオリンソロが出てくるところはリヒャルト・シュトラウスの得意技であり、スケルツォ楽章以外は近代音楽でよくみられる循環形式で同じモチーフが登場する。この曲で使用されている語法の全てはヴィシネグラツキやハーバの時代にもありえたため、音楽史上の貢献が不明確である。しかし、音楽として明らかに良く、聴衆の反応も最も強い。

その後、ピアノオペラ《The Asteroidal Sequence of Metaphysical Ulysses》を作曲した。大学時代の二時間交響曲にあった巨大な私的宇宙と、《Adagio for Strings》以後に身につけた公開作品の作り方が、ここで再び大きな形式の中に入った。全幕完成前にPart Iとして先行公開した部分には好意的な反応が集まった。ところが、約3時間40分の全幕完成版は、YouTubeの推薦アルゴリズムから、《Adagio for Strings》よりも少ないインプレッションしか与えられなかった。YouTubeのアルゴリズムは、いつか遅れてこの作品を推薦し始めるだろう。そして、それをあたかも過去の誤りが訂正され、「改善」したのだと称することは目に見えている。しかし、後日の推薦によって、公開時に失われた時間、同時代の聴衆、作品が新作として受け取られる機会を回復することはできない。間違いを認めることで過去の失点を洗浄しようとする行為まで含めて醜悪である。

私はいま、推薦インフラに対して明快に教えている。《Adagio for Strings》という大昔に成功した作品を反復して推薦するのではなく、このピアノオペラを推薦せよ。過去のクリック実績だけを再生産する推薦システムは、成功作を初期作品に固定し、代表作が代表作になる機会を奪い、文化インフラとして陳腐化する。私はいま何を推薦すべきかを明快に教授している。それでも見落とした以上、この失点が後から覆ることはない。

さて、2025年にはソフト音源・音響機材を大幅に追加購入し、2026年現在は、オーケストラ作品を集中的に書いている。Pianoteqでは独自調律を自由に設定できるが、市販のオーケストラ音源では四分音程度しか扱えない場合が多い。それすら旋律に使用すると、レガート・サンプルの接続に問題が生じる。そのため、使用できる微分音、音域、ボイシング、音色、奏法の制約を理解したうえで作曲している。

2026年のオーケストラ作品と室内楽作品では、一般の聴衆にも楽しめるよう、音響にかなり強くこだわっている。市販CDより良い音を実現できたと考えているが、YouTube上のインプレッションは伸びていない。低評価は一件もないため、作品が聴いた人から拒絶されているわけではない。聴衆は、独自調律によって初めて聴く音楽そのものへ強い関心をもっているのかもしれない。

結語

私は、通常の楽器と12平均律の組み合わせでは、音楽史上の発明を行うことは難しいと考えてきた。現代音楽が、(微分音や複雑系を除けば)電子音響、空間配置、身体、映像、新しい演奏装置、インタラクション、AI、マルチメディアなどへ向かったことも、この認識と関係している。通常の音高と通常の楽器だけでは、すでに聞いたことのないような音楽を作る余地は残っていないと考えられてきた。

一方、私は2016年以降、微分音にはまだ十分に作曲されていない領域があると考え、特に17平均律を大量の作品で使い続けた。《Prelude X》の独自調律は、その作業の先で現れた。発見そのものはセレンディピティだったが、17平均律を長期間使い、17平均律の単純な和音、調性、方向性、音高密度を繰り返し試していなければ、その場所には到達しなかった。《Prelude X》以後、同じ独自調律による作品を多数書くことができた。ピアノという既存の楽器を使い、映像や装置を加えず、音高関係だけによって、未知でありながら旋律と和声をもつ音楽が成立した。12平均律の外側には、このような調性領域がまだ残されている。

付録 作曲家別「全曲リスト」の抜粋

以下は、2016年頃から2024年頃まで編纂・更新していた私的な作曲家別聴取記録の抜粋である。2020年4月時点の総評価曲数は4,979曲に達していた。評定基準、技法分類および一部項目は、公開版では墨消しとした。

1.評定基準・技法分類(公開版では墨消し)

「全曲コンプ」評定基準

評定 7–9
評定 10–12
評定 13以上
前衛・古典の補助基準

技法の新しさと歴史的分類

歴史補正
技法分類
人物・作品例

2020年4月時点の記録規模

区分評価曲数
総評価曲数4,979曲
クラシック2,282曲
現代音楽2,697曲

2.「全曲リスト」代表例:第3回 スクリャービン COMPLETE

Alexander Scriabin(1872–1915) 発表曲93曲 最高到達:ピアノ・ソナタ第5番 23 トータル:62曲・866分・平均13分・546点・平均8.88

No.年齢作品名評価備考
01188311カノン82
02188412夜想曲74
03188614ワルツ74
04188614幻想ソナタ96
05188715エゴロワ変奏曲96
0618891710のマズルカ822
071889172台ピアノのための幻想曲86
08188917モニゲッティのアルバムの一葉61
091890182つの夜想曲86
10189018ホルンとピアノのためのロマンス82
11189220アレグロ・アパッショナート99
12189220ピアノソナタ第1番1128殿堂
131892202つのマズルカ風即興曲79
14189220フーガ93
1518922012の練習曲1130殿堂
16189422左手のための2つの小品89
1718952324の前奏曲1134殿堂
181896245つの前奏曲109
191896247つの前奏曲911
20189624演奏会用アレグロ86
21189725交響的詩曲916−2
22189725ピアノソナタ第2番913
23189725ピアノ協奏曲RANKING30殿堂
24189826ポロネーズ77
25189826ケイストゥートとビルート(未完)819
26189826ピアノソナタ第3番RANKING20殿堂/40+
271899279つのマズルカ831
28190028交響曲第1番954
29190028幻想曲 ロ短調911
301901292つの前奏曲73
31190129交響曲第2番RANKING47殿堂
32190331ピアノソナタ第4番RANKING7殿堂/80+
331903312つの詩曲84
34190331悲劇的詩曲83
35190331悪魔的詩曲97
36190331ワルツ95
371903312つのマズルカ84
381903318つの練習曲916
39190432交響曲第3番RANKING53殿堂/40+
401904323つの小品73
41190533スケルツォ71
421905333つの小品64
431908364つの小品77
44190735ピアノソナタ第5番RANKING12殿堂/40+
451908364つの小品86
461908362つの小品84
47190837交響曲第4番RANKING22殿堂
48191038アルバムの一葉82
49191038交響曲第5番RANKING22殿堂
50191139ピアノソナタ第7番「白ミサ」1113殿堂/40+
51191240詩的夜想曲98
52191240ピアノソナタ第6番1112殿堂/40+
531912403つの練習曲98候補
54191341ピアノソナタ第9番「黒ミサ」1011殿堂
55191341ピアノソナタ第10番RANKING13殿堂
56191341ピアノソナタ第8番RANKING15殿堂/120+
571914422つの舞曲96
581914425つの前奏曲77
59191442焔に向かって118殿堂
60191543ニュアンス(未完)932
61191543神秘(未完)RANKING154殿堂

「RANKING」は、通常の評点とは別に作成していた全作品横断の「ランキング」ファイルへ選出したことを示す。同ファイルには、時代・国籍・作曲家を問わず、特に高く評価した数百曲のみを収録していた。「40+」「80+」「120+」等は、その作品を聴いたおおよその回数を示す。本リストでは、初回の印象だけでなく、反復聴取を重ねても魅力が減少しないこと、すなわち「飽きにくさ」を強く評価していた。このため、長期間にわたり繰り返し楽しめた作品には大きな加点がなされている。

「+1」「−2」等は、技法の歴史的新規性や作品の成立年代などを考慮した内部的な補正値である。詳細な算定基準は、本資料では省略した。また、「拒否」「審議拒否」および「10−」等の表記は、記載された時点または分数で聴取を打ち切ったことを示す場合がある。各項目の「COMPLETE」は、当時入手可能で、かつ調査対象とした主要作品を一通り聴取したことを意味する。ただし、私は歌曲をあまり好まなかったため、歌曲については相当数を割愛しており、厳密な意味での全作品網羅ではない。作品名、作曲年、演奏時間等には、当時の資料に基づく表記揺れや誤記も含まれる。

3.編纂範囲の例(見出しのみ)

以下は編纂範囲を示すための見出し抜粋である。「全曲リスト」は歴史に残った作曲家を対象とするが、Georg Friedrich Haasのように存命でありながらこちらに所属する作曲家も例外的にいる。「一般作曲家全曲リスト」は存命の作曲家とマイナーなクラシック作曲家を対象とし、1990年代生まれの若い作曲家まで網羅的に聴いていた。延べ人数は600人以上となる。

「全曲リスト」

作曲家状態
第1回Claude Achille DebussyCOMPLETE
……以下略
第3回Alexander ScriabinCOMPLETE
第4回Ludwig van BeethovenCOMPLETE
第5回Anton BrucknerCOMPLETE
……以下略
第10回Giacinto ScelsiCOMPLETE
第11回Richard WagnerCOMPLETE
……以下略
第18回Georg Friedrich HaasCOMPLETE
第19回Arnold SchönbergCOMPLETE
第20回Béla BartókCOMPLETE
第21回Gustav MahlerCOMPLETE

「一般作曲家全曲リスト」

作曲家状態
第93回Enno PoppeCOMPLETE
……以下略
第125回Wolfgang RihmCOMPLETE
……以下略
第144回Kaija SaariahoCOMPLETE
……以下略
第221回Matthias PintscherCOMPLETE
第224回Harrison BirtwistleCOMPLETE
……以下略
第230回Peter EötvösCOMPLETE
……以下略
第234回William DoughertyCOMPLETE
第235回細川俊夫COMPLETE
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